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HISTORY
補正下着発展の歴史

補正下着によってボディラインを美しく整える効能は、すでに古代から見出され、今日まで2,500年余りの歴史があります。そして歴代の応用の中で改善と発展を続け、最終的には現代の「流動性脂肪移動の原理」のもと、最先端の生地素材を用い、人間工学に基づく立体裁断を採用した科学的体型補正の必需品のひとつとなりました。アジア、ヨーロッパ、アメリカの補正下着は素晴らしい発展の変遷を有し、歴史が女性にもたらした文化的至宝のひとつでもあります。

アジア

紀元前500年余りの春秋戦国時代の中国では、既に臣下や官女たちは細い腰を保つために帯をいつもきつく締めていました。この時代の身体を引き締める装具が補正下着の原型といえるでしょう。

唐代の女性は「半ば胸を露出したスカート」を好み、そのため帯のない下着「訶子」が生まれました。訶子は通常、「織成」と呼ばれる生地を用いていました。織成はハリと弾力性があり、しっかりした手触りで、着用の際は胸の下で2本の帯を結ぶだけでよく、この時代の下着機能はすでに今日の補正下着に近いものがありました。

元代になると「合歓襟」が現れました。

明代の下着「主腰」は見た目がベストに近く、腰側にさまざまな帯があり、全ての帯を締めるとしっかりとウエストを引き締める効果があり、明代の女性がすでにボディラインを強調する方法を熟知していたことがわかります。

近代20世紀の20年代から30年代の女性の下着は袖なし胴着で、幅が狭く、通常は一対の前身ごろがあり、前身ごろにはいくつかのボタンが施され、着用すると胸と腰を締め付けて、ボディにメリハリをもたせる効果がありました。各時代の下着には体型補正の需要があり、正確な補正下着の実現方法がなかっただけだということがわかります。

元代の下着「合歓襟」
明代の下着「主腰」

悠久の和服文化を持つ日本では、過去には和服を着た身体がさらに美しく優雅になるように、女性たちは白い布で腰を円柱状に包みました。その後は大正時代から、欧米の影響のもとに洋装文化が日本に浸透し、女性の下着もそれに合わせて変化が生まれました。現在では様々な素材の様々な機能を備えたブラジャーがあり、女性が着用するのは当然のことと思われていますが、ブラジャーが日本の庶民に知られるようになったのは昭和12年前後のことです。身体にぴったりした服が流行っていた当時、現在とは逆で胸を強調するものではなくフラットなタイプでした。若者たちの間で流行り始めましたが、現在のように普通の下着の一部として普及するには相当長い時間がかかりました。

ヨーロッパ

西暦3世紀初めに、早くも古代ギリシャの女性は身体の曲線美を追求し、原始的な「補正下着」を発明しました。この補正下着は現代の立体裁断に近い方法を採用し、ウエストを金属コルセットで絞るもので、当時このような服装をまとった女性はすべて上流階級の祭司、役者、宮廷の女性でした。これが考証できる人類初の補正下着です。

15世紀のルネッサンスから、ボディスとコルセットはヨーロッパ女性のマストアイテムの基本下着となりました。
当時のファウンデーションは「ソフト」と「ハード」の2種類があり、ソフトタイプのファウンデーションは布、皮、紐でできていて、立体裁断を採用し、ウエスト部分を交差させた紐で締め付けるものでした。
ハードタイプのファウンデーションは木材または金属製で、継ぎ目の部分を蝶番や留め具でつなぎ合わせ固定したもので、着心地は非常に苦痛でした。

ヨーロッパ中世の服装の主な特徴は、当時の王侯貴族の服装から推測できます。つまり、豊満さが強調されたバスト、腰を最大限まで絞ることで表現される細いウエスト、大きくふくらんで地面まで届くスカートです。
中世のヨーロッパ貴族文化は最も早期の女性用ボディスを生み出しました。しかし、当時の夫人は少女時代からこのような過度に締め付けるボディスを着用したので清潔さに欠け、さらにこのようなボディスを2つも重ね着したことから、骨格の変化を招きました。
そのため、健康という視点からみると、これは決して用いることのできない下着といえます。

その後、フランスのガラオ・シャーロット夫人が、胸から腰にかけては補正機能がなく、腹部のみ適度に締め付けて姿勢矯正効果のある新型ボディスを発明し、後のブラジャー登場の契機となりました。当初の女性がブラジャーを着用する主な目的はバストをさらに豊満に見せることであり、このタイプのボディスが更に発展して細いウエストを強調し、ボディスの上端からバストを目立たせるボディライン強調のスタイルに変遷していったのです。

※イメージ

アメリカ

アメリカの下着の歴史を語る上で、女性を不自然なボディスから解放し、新たな流行を提唱したブルーマー夫人にふれないわけにはいきません。

19世紀中頃、アメリカ・ニューヨークに生まれたブルーマー夫人(アメリア・ジェンクス・ブルーマー)は、女性の社会的地位の向上と女性の服飾を関連付けて考えるようになり、行動が制限される不便なロングスカートときつく腰を絞るボディスから女性を開放することを提唱しました。

現在、本来はプライベートなはずの下着がアウター化しています。この点に関して、世界のトップアーティストであるマドンナが導火線の役割を果たしています。
「Express Yourself」を歌うマドンナが、黒のミニワンピースのインナーで舞台に立った瞬間、彼女のセクシーさにあふれる服装は女性のファッション意識に影響し、下着のアウター化の流れを加速したのです。プライベートな下着からセクシーな下着へと、マドンナは下着のイメージを変えました。

「下着は最も隠されたもの」という時代はすでに終わり、アウターの一部としてデザインされた下着がますます増え、ファッションの楽しみは今まさに更なる広がりを見せています。

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